市民の食生活に欠かせぬマルシェ
フランス語の「マルシェ」という言葉をご存知であろう。
マルシェ=市場は、フランスの中で大なり小なり町があるところには、必ず開かれる食料品中心の市場であり、人々の食生活にとってはなくてはならない存在である。
パリ市内だけでも70カ所くらいのマルシェが開かれている。パリ市街の大きさは、東京の世田谷区と同じくらいと言われている。そこに70カ所のマルシェがあるということは、パリで生活している人々にとっていかに大きな存在なのか、いやフランス人にとっていかに大切な物であるかお分かりいただけると思う。
マルシェには幾つかのスタイルがある。食料品専門店が軒を並べ、こじんまりした商店街のマルシェ近くの主婦を対象にしたもの。商店街に臨時の食品専門の屋台が並び、惣菜屋、八百屋、肉屋が通りをうずめ、パリの胃袋を感じさせるマルシェ。指定された日に、決められた道路(アベニュー)、広場に屋台が集まり、生活雑貨、台所用品と食料品店が並び、マルシェと蚤の市が一緒になったような生活感あふれる市場。区や自治体が建てた建物全体が市場になっているマルシェ。
マルシェはそれぞれの地域によって顔があり、並ぶ商店も様々である。中東、スペイン、ポルトガルなどから来た移民労働者が多い地区では、たこ、いか、思いっきり辛い唐辛子が並んでいたり、16区の金持ちが多く住んでいるところでは、好奇心旺盛な住民のために山芋、生姜、白菜、もやしが売られている。迫力があるモンパルナス近くのマルシェはチーズ、冬場は丸のままの鹿、猪が並び、バスチーユ広場近くのマルシェでは、カキや丸ごとの魚が釣り金で吊るされて売られている
旬の新鮮な食材ばかりが並ぶ
どこのマルシェも活気にあふれ、人参、サラダ菜、いちご、りんごなど、その季節、季節に山積みにされ売られている。客が手に取って品定めするようなことはない。商品はすべて店員が取り仕切り、多少傷ついたりんごがあったとしても、それを含めて「いくら」という形である。形だけを選んで高い買物をするより合理的である。
ここで売られている商品はすべてその日の朝、オルリー飛行場のそば、ランジス中央市場から仕入れたものか、生産者が早朝収穫したものばかりで、その新鮮さ、品質の高さは言うまでもない。マルシェには活気にあふれ、日本の築地市場やアメ横とは比較にならないほど豊富な商品が並んでいる。
よくフランス料理には「旬がないのでは」いう人がいるが、とんでもない。全ての野菜は季節の間しか売られていない。もし季節外れのトマトがマルシェに並んでいたら、それは太陽の豊かなイスラエルやモロッコからきたトマトである。パリの中央市場には、オランダ、ドイツ、北欧、南欧、東欧から夜を撤して大型トレーラーで運んできた食材であふれている。
マルシェの起源は定かではないが、18世紀に遡り、当時の形態が現在まで維持されている。大型スーパーやデパートも食品売場に力を入れているが、市民のマルシェに対する支持は強い。
強烈な印象与えた「市場の料理」
ひと昔前のガイドブックを見ると、「フランスの魚屋は商品が新鮮でなく、アンモニア臭がするし、八百屋の野菜もしなびている」と書かれていた。原因はフランス人の食材に対するおおらかさと、運送力にあった。しかし1960年代入り、フランスの輸送力は飛躍的に発展した。それに合わせて情報量が増え、フランスの料理界も変化を迎える。ご存じ、ヌーヴェル・キュイジンヌの勃興である。 調理時間の短縮、軽いソース、簡単にして洗練された盛りつけ、四季を大切にすること新鮮な材料の持ち味を活かすこと、控え目な脂肪、そして創造。20世紀前半から固定されていた料理概念から離れ、多くの料理人が動き出した。フェルナン・ポワン(1955年没)、現代フランスフランス料理の頂点に立った彼のもとで多くの料理人が学んだ。料理に無用の複雑化を排し、素材の新鮮さを追求し、絶えざる創造力で料理を生み出すことの重要性を学んだひとりにポール・ボキューズがいる。 彼が有名になったのは、その料理、哲学はもちろんのことだが、彼が主張した「市場の料理」(キュイジンヌ・ド・マルシェ)が人々に強烈な印象を与えた。
フランス第二の都市リヨンは、パリと同じように街にマルシェが並ぶ。さすが食欲の首都、リヨンのマルシェは、パリのそれに負けず豊富な食材で満ちあふれている。リヨン近郊は食材の豊なところに加え、プロヴァンスや南仏からもハーブや見事な野菜が送られてくる。
マルシェに行けば、なじみの商人が信用のおける農家から仕入れてきたチーズ、バター、生クリーム、野菜、鶏が手に入る。季節には天然の茸類や森の果実、野禽類も並んでいる。さよう、一般の人々が買い求めるマルシェでミッシュラン三ツ星のレストランのオーナーシェフ、ポール・ボキューズが食材を買い求める。それほどにマルシェの商品は新鮮で品質が高いのである。 1970年頃にパリ市内の中央市場がとりこわされ、新しい商業地区に生まれ変わつた。それまでの市場の地名を残し「レ・アール」と呼んだが、今日ではその面影もなく、近くに並ぶレストランがかすかに市場のあったころを思い出させてくれるに過ぎない。
欧州各地から食材入る時代に
私がパリに住んだ1960年代の後半は、まだこの「レ・アール」(中央市場)が文字通りパリの胃袋として活躍していた。パリの細かい市街地を通リ抜け、パリの中心であるこの市場に8t、12t積みのトレーラーがヨ−ロッパ各地から品物を満載してやって来る。あまりの混雑にパリ市長は中央市場を郊外に移転することを決定した。アール・ヌーヴォー調の骨組みで親しまれていた市場の移転に反対する市民も多かったが、時代の趨勢で郊外に去っていった。
広くなった新市場は、スケールも大きく、更にヨーロッパ各地から商品が集まるようになった。ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア、スペインなどからパリに向かう車の群れ。国境を接する税関で発生する煩雑な手続きにより車両が長蛇の列をつくり、環境問題にうるさいスイスでは社会問題にまで発展した。1957年にフランス、イタリア、西ドイツとベネルックス3国の6カ国によりローマ条約が調印された。EEC域内の関税の廃止、数量制限の撤廃、対外共通関税、そして域内の人、サービス、資本の自由な移動の保障などがその内容。 国境を排して完全に自由な市場を生み出す壮大な計画は、12カ国が集まるECとなり、旧東欧、ポルトガルを含む全ヨーロッパ的な統合に進みつつある。
前述の国境の関税を通過することは、高速道路のゲートをくぐるよりたやすくなり、どんなヨーロッパの片すみから、どんな食材がパリに持ち込まれるか分からない時代になった。
旬、季節を大切にする国民性
フランスといえば、TGV、コンコルド、核、モード、ファッションと有名なものが多いが、実体は今でも農業国家なのである。それも偉大な農業国家である。フランスの田舎を旅すると、どこまでも続く畑と地平線。養殖漁業も盛んであるが、第一の産業は農業である。地図をひろげてみれば分かるが、フランスはヨーロッパでも一番いいところに位置しており、古くからローマ、アラブ人達が豊かな地を狙い進出を企ててきた。
現在、フランスの代表的農産物といわれているワインは、元々は古代ローマ人が残していったもの。フランスの気候に合って、今では世界一の品質のワインを生み出している。
ワインのほかにチーズ、鶏肉などを生産する農業国であることから、その品質を維持のため様々な法律、規制、保護策がとられてきた。しかし拡大ECの発展とともに、この品質を維持するための法律を変更せざるを得なくなってきている。ただ変わらないことは、フランス人は野菜にしても他の食材にしても「旬」「季節」を大切にしていることである。適正適地で農作物を作り、むやみやたらには作らない。
ビニールハウスで季節外れの野菜を採ったり、ぶどう畑に科学肥料を撒いたりはしない。必要以上に形の整ったトマトやきゅうり、茄子をそろえることもしない。自然の産物に対して「うまければ」ということを最優先にしているから、味のない野菜、水っぽい野菜が出回ることがないのだろう。
当エッセイは日清社の「フーディアム誌」に連載された「酒井一之の〈おしゃべり ア・ラ・カルト〉」を転記したものです。よって版権は日清社が保有するものです。